2007年1月アーカイブ

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 季刊誌と言うことで雑誌の形はとっているが充分に単行本一冊の価値がある。“里海”という概念は「海(自然)はけっして漁師だけのものでも国や自治体だけのものでもなく、そこで暮らす、また多くの人と共有守っていく場所である」とする原則をしっかり見据えて作られた本である。
 ここに登場するのは漁師の側から我々一般人にも“里海”に来ませんかという運動をしている『盤州里海の会』。ここでは木更津の現役漁師が「海で生きると言うこと」、「また海を守ると言うこと」、そして「今の東京湾の現状」をけっして現在を否定することなく多くの人に知らしめようとしている。例えば会の目下の目標である「アサクサノリの復活」にかける意気込み、また小櫃川河口に広がる盤州の現状。その活動が非常に丹念にこの雑誌には綴られているのである。
 別項の多摩川河口でのアサクサノリの発見者菊地則雄先生のページもとても興味深いものだ。そこに明治42年刊、岡本金太郎の稀覯本『浅草海苔』などを連載載録している。この価値は計り知れないだろう。
 また、日本各地での海を巡る開発問題にも特集その2で多くの紙面が割かれている。ここにある諸問題は我々一般人にも避けては通れないことであるのは、この特集でまざまざと見えてくる。
 さて、この内容濃いページをめくった最後、グラビアページに懐かしい顔がある。利根川河口小見川町(現香取市)の『うなせん』菅谷敏夫さんである。菅谷さんは利根川の下りウナギを名人芸で焼き上げる千葉県でも屈指のうなぎ職人である。その「ぼっか」と言われる大ウナギの味わいは天下一品。また冬季の野鴨など利根川はいまだに美味の宝庫であるのがこのページからもわかるはずである。

まな出版企画
http://www.manabook.jp/
『盤州里海の会』
http://www.satoumi.net/

この本の満足度、また次回を買いたいと思ってしまったので
★★★★
と満点に近い

 この新井由己さんというのは『とことんおでん紀行』という原チャリで北海道から沖縄まで「おでんを食べて縦断する」という本を書いた人。それだけでも期待するところ大なのだが、今回のは少々もの足りない。たしかに出汁の基本が牛肉にあること。具の黒はんぺん、なると、など静岡ならではの練り物の歴史や、静岡のおでんの特異性など得ることは少なくない。でも情報量として一冊の本を作るには少なすぎる気がしてならない。
 また、この本にはおでん材料としてのイルカのことが抜けているのだ。たぶんほんの大阪万博あたりまでイルカのおでんは珍しいものではなかっただろう。まだまだ牛肉が高級だった頃、ひょっとしたら出汁の基本はイルカの脂身だった可能性だってある。
 大浜公園、草薙球状、おでん横町、地元受けすることが多すぎるのもなんだか嫌な感じ。できれば静岡県人以外にも楽しめるネタが欲しかったな。ということでネットで本を買う怖さを思い知ることになった。
この本のボクの満足度は★★☆と少々不満足。

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 道修町(どしょうまち)と言えば薬の町。薬を商う商店が軒を並べ、そこから武田製薬、田辺製薬、塩野義製薬などが今に残る。そこにあった様々な人生が非常にテンポの良い語り口で述べられる。またそこでは古い大阪、商家の暮らし、文化が戦後まで残されていたのだ。本書はそんな薬の町の歴史と暮らしを道修町を生地とする著者が愛情をこめて描いている。
 帰郷するときに立ち寄る大阪難波(南海電車の始発)、中央市場のある野田、そして鶴橋などは大阪でも馴染みのある場所。そんななかでどうしても近寄りがたいのが船場、道修町あたりである。今では完全にオフィス街であり、なんだか硬質なイメージを受ける。その近寄りがたさを取り去ってくれたのがこの本である。
 大阪では魚市場、海産物を取り扱うところを雑喉場と呼ぶ。道修町の東側、天満に古くからの魚市場があったこと。また石山本願寺の支配から豊臣秀吉の時代になって最初に雑喉場となったのが靫。これは道修町の西に当たる。その真ん中にあった町が雑喉場の移転とともに薬の町に変貌していく。後には薬を扱うに「道修町に店を持つ」のが最大の立身とされるようになるのである。
 考えてみると江戸時代には大阪への人の流れを規制していたのである。そのために地方から出てくるととりあえず居を構えるのが野田、または福島あたりであったという。そこから堂島川、土佐堀川をわたり船場に至る立身というドラマが明治期まであった。ボクの子供の頃に人気があったのが「番頭はんと丁稚どん」。この世界そのままが道修町にはあったのである。またその商家の暮らしに船場汁、魚島などの食文化があったわけで、このあたりを調べるにも貴重な手がかりとなる。
 この本、水産物を調べるにあまり関わりがあるとは思えない。ところが最近、魚の利用や価値観を考えるに街の歴史がいかに重要かというのに気づいたのだ。また本書は読み物としての面白さも兼ね備えている。たぶん読み始めるとついつい止まらなくなるはずだ。
この本のボクの満足度は★★★★。面白い!

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 くりさん、栗原伸夫さんとは一度だけお会いしたことがある。外見からはいかにも紳士然としてボクのようながさつなヤカラには近寄りがたい雰囲気も感じられたが、この本を読んでこの誤解が氷解した。この雑学とはにかみを含み世に出された100扁の章に、ただの蘊蓄ではなく、むしろ人生を語るような深みを感じたのだ。
 この100扁の文章には文献からだけではけっして生み出せない。そこに栗原さんの水産学人生が深く反映しているというわけだ。これを「雑学」とするのは著者の持つ心憎いアイロニーであることは間違いない。
 この100扁をすべてあげることは出来ないのだが、そのいかにも栗原さんならではの章は「十和田湖のヒメマス」ではないかと思う。この書き出しに彼の伝説の人を「和井内さん」と書きだしている。なぜ「和井内さん」と「さん」がつくのかは読むほどに判明する。この快挙を成し遂げた十和田湖での事業を東京水産大学(現海洋大学)の学生であった著者は今で言うアルバイトとはいえ実見しているのだ。この時代の内水面での養殖の意味合いも著者は身をもって知っているわけで、当然伝説の和井内貞行に会っていなくても無意識に「さん」がついてしまう。
 この水産学のコラムの良さはそれだけではない。「芦ノ湖のブラックバス」、「第5福竜丸の生涯」、ついつい知ってるつもりで、曖昧な史実、項目が的確に抑えられている。この分厚い本は我がかたわらにいつも置いておきたいものである。
この本のボクの満足度は★★★★と満点にちかい。

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 タイトルから「とんかつ」の本であると思うのは早計である。幕末から西欧の文化が洪水のごとく押し寄せてきて、それを短時間で受け入れるというところに幾多の多方面での混乱とドラマが生まれる。明治天皇までかり出しての肉食の普及運動。ウスターソース、またパン、またキャベツなど「とんかつ」に欠かせぬ素材の国産化、また改良。そこで明らかに食の多様化が生まれるのだが、それが簡潔にかわりやすく綴られている。その先に「とんかつ」があるのだ。すなわちここには西洋と和が作り出す洋食の歴史が語られている。
 またボクなど肥満体になり、高血圧で危険な身になりながらもやめられない「とんかつ」の誕生が、西欧と和の混沌の中で生み出されているという結論がでてくる。
 明治28年東京銀座の「煉瓦亭」が生み出した豚肉のカツレツから、昭和4年の今まさにあるような「とんかつ」を生み出した上野の「ポンチ軒」(この店名に小津安二郎の世界がある)。そこにいたる明治以来の食の混合を一枚のロースカツに感じながら、ボクなどより肥満体への道を進むのである。
 ボクの本の満足度は★★★★と満点に近い。

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 この本一万円しても買っていい。素晴らしい内容である。「馬琴の食卓」「若沖『野菜涅槃図』」「マグロ出世たん」「食文化落穂ひろい」など数編からなり、どれも珠玉のものばかり。滝沢馬琴、おみちの詳細な日記をもとにした食生活の話。またその滝沢馬琴の日記にある天保六年のマグロ豊漁。また伊藤若沖の絵に見る18世紀後半、京都に見られた思わぬ果物、青物。平安時代の馴れ鮨、また類聚雑要抄にある様々な海産物。そこにはユムシ、キサゴ、カメノテ、そしてヤドカリの塩辛などが登場してくる。
 さて鈴木晋一という人の本は我が家にも数冊ある。『たべもの史話』『たべもの東海道』これ総て素晴らしいもの。そしてこの方の生年がなんと1919年なのである。たぶん今年、米寿ではないか? お身体に気をつけてもっともっと本を世に出して欲しい。
 ボクの本の満足度は★★★★★と満点。

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