2007年2月アーカイブ

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 初めてカレーライスを食べたときのことは今でも覚えている。それは自宅ではなく、子守さん(ボクは母親が病弱だったので)の家だった。たぶん肉と野菜を炒め、水を入れて水溶きの小麦粉とカレー粉を溶くというもっとも基本的な作り方のカレー。今でもその黄色いルーとご飯のコントラストが目に浮かぶ。その衝撃は辛さからくるものだった。あまりにも辛くて、そのときに一緒に食べた友達(今でも友達だ)とともにお砂糖をなめて、押入に隠れ込んだのを覚えている。
 そのカレーはイギリスの初代ベンガル総督が1770年に本国に持ち帰ったことから、インドでのただの「料理」から「カレー」へと名を変える。ちなみに「カレー」というのはインドでは特別にこれといった料理を差すのではないという。それから初めてカレー粉を製造したC&B。それが明治維新とともに我が国に到来。カレーという料理も明治初期から作られ始めるのだ。
 その初めてのカレーを作り出すまでに玉ねぎ、小麦粉、西洋ニンジン(今われわれが普通に食べているもの)などを国内で生産する。またカレー粉の国産での製造などかずかずのカレー史のステージがあることがわかる。
 またもっとも興味深いのはカレーがどうして我が国にこれだけ早く受け入れられたのだろうか? という点。これにはそれまでの食事がご飯の他に出汁をとる。お菜(おかず)を作る。漬物を漬け切るなどの幾多の作業を必要としていたこと。これに対してカレーはひとつの鍋で炒める、煮るなどが完了する。また出来上がってもご飯にのせるだけなど、従来の食事と比べて非常に簡便であった。それで急速に広まったのであるというのも食の歴史を考える上でも興味深い。
 そしてその広がりのなかで様々な材料がカレーに使われてくる。ほっき(ウバガイ)、ホタテガイ、マスにイワシなど、獣肉だけでなく島国日本ならではの材料が使われるのだ。
 他にも新宿中村屋の「インドカレー」、阪急百貨店の大食堂の「カレーライス」、カレーパンや「カレーと福神漬け」の話など盛りだくさんすぎて、しかも読んで面白過ぎるので、ある意味こまった本でもある。

本の満足度。5★満点で
★★★★☆

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 中学、高校と日本史で習うのはせいぜい明治期まで、意外に知らない領域が昭和の歴史なのだ。平安、奈良などと違い、自分自身が生きて、そしてまだまだ庶民の生活に関する実体験や資料が数知れず、当たり前だが残っている。その昭和をボクは知らないのだ。
 本書の著者である白井貞(敬称略とさせてもらう)は大正12年生まれである。この1923年は関東大震災の年。そして昭和元年には著者の物心つく時期とも重なるのである。昭和16年、大妻技芸学校(多分今の大妻女子大)家政学部を卒業して、労研(労働科学研究所 この研究所で思い浮かぶのが“労研饅頭”だけというのが恥ずかしい)に就職。戦中戦後の食糧難のとき、また復興期、そして現代にわたって栄養調査をし、そして管理栄養士として常に一線で活躍されてきた。
 その企業での栄養士としての献立や、また当時の食糧事情などが綿密に書かれている。面白いのは戦中の外食券食堂、雑炊食堂などの現在の大衆食堂の起源ともいうべきものの調査。そこで食べられていた料理の材料。また新潟の企業での献立や、また二本木という土地での名物が「どじょうの蒲焼き」であったこと。また当時のクジラの利用なども非常に興味深いのである。
 さて魚貝類を調べているのでついつい興味のあるところだけを書き上げたが、ここには昭和を、またいちばん苦しい時代を生き抜いた女性の歴史が見えてくる。これだけでも読む価値大。

この本の満足度。5★満点で
★★★★

つくばね舎
http://www1.ttcn.ne.jp/~tukubanesya/

ため息、吐息

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 久しぶりに風邪に伏せっている。なにも出来ない状態にあって、あせりにあせっているのだ。
 ここ数日変だった。なにをやってもうまくいかない。集中力がない。それで体温計を取りだしてみたら37度代後半といったところ。平熱が35度前後なので、熱が高い状態なのかも知れない。とにかく気だるく、喉が腫れて咳が止まらない。
 だいたい去年から今年にかけて体調が変なのである。暮れと、年明けに左目がまっかに出血してしまって、左目も一度だけ出血。それでも決して体調が悪いわけではないので、動き回っていたのだ。でも今回の風邪はなさけないが辛い。
 その上、世間を見回すにろくな事がない。防衛庁が省に昇格していいんだろうか? 美しい日本を破壊してきた党が「美しい日本」なんて恥ずかしげもなく言ってくれている。ろくな事を言わない無機質な安倍晋三という人は正気なんだろうか? ボクが見るところただの戦争大好き人間に思える。コヤツの時代から社会が右傾化、戦闘的な国になってしまうんじゃないだろうか?
 右でもなく左でもなく「自然保護」「リベラル」であることを守りたい身にはこんなヤツを首相にする国民は大丈夫なんだろうかと思う。
 そこに長野県でのダム計画の再開。あまりにも愚かではないか? やっぱり今回の村井という知事は徹底的に長野の自然を破壊したいのではないだろうか。間違いなく治水、防災なら林野庁と国土交通省が一緒にならないと出来るわけがない。ダムじゃなくて森の再生が先だろう。そうしないとどんどん国土も美しい日本もなくなってしまう。この場合、けっして今の利権が失われるわけじゃないだろう? 土建屋さん。
 最近報道されないが伊勢崎市では福祉などを切り捨てて市長が巨大な観覧車を作っているんだという。ここで気になるのはこんなお猿さんでも愚かしいと目を覆いたくなるような事業を市議会が大賛成だということ。こんな状況を見ると地方を見捨てる国の気持ちが理解できそうになるから不思議だ。ボクには群馬県には尊敬できる人が過去にも現在にも多いのである。大丈夫だろうか? 伊勢崎市さん。ボクは団塊の世代には、このような情けない政治家を駆逐する原動力になって欲しい。
 また共産党、社会民主党が破廉恥でバカに思えるのはボクだけだろうか? 柳澤厚生労働大臣の発言は本音が出ているのであって、少子化担当には不的確だろう。だいたい(だいたいが多すぎるな)旧態依然の原始人のような男が現代の日本を背負えるはずがない。そんな愚かな現状に「ぎゃーぎゃー」ほざいてなんになる。一度聞きたいと思っているのだが社会民主党は自然保護に感心があるんだろうか? そんなこと一度も聞いたことがない。労働者の身方は自然破壊にも賛成だと思えてならない。また基本的に国民が怒りを感じている汚職や天下りに反対なんだろうか? それすらもわからない。正義の味方なら徹底的に正義を通して欲しい。
 世の中、どうなっているんだろう。地方が疲弊して中央だけが潤っている。大きな町でも小さな町でも個人商店に後継者がいない。漁師にもいない。農家にもいない。築地の仲卸は見殺しにされそうだ。大きな公共事業は行われて、細やかな事業はなされない。
 ぼうずコンニャクは深海に棲息する。その深海すら平穏ではないのである。

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